【嬉しいような】全国で食べられるご当地グルメ…
旅行にいくと必ずその地域のご当地グルメを食べたくなってしまう。
牛タン、手羽先、お好み焼き、もつ鍋…料理名だけで地域名が浮かんでしまうほど、ご当地グルメのインパクトは大きい。
ただ、最近では多くの有名店の味が全国で味わえるようになってきている。
せっかくだから食べていこう…
私は先日名古屋に赴いた。
せっかく名古屋まで来たのだから何か名古屋感のあるものが食べたいなと思い、名古屋名物の矢場とんを食べた。本当に美味しかった。
東京でも食えるんかい
また名古屋に来た時にでも食べようと思っていたが、ここで友人が一言
「矢場とんって東京でも食えるで」
なんと調べてみると銀座に矢場とんがあるらしい。
いや東京でも食えるんかい!!
嬉しいような虚しいような
このことに気付いた私の感情は複雑であった。
名古屋に赴かずとも東京で矢場とんが食べられるなんて嬉しいという素直な喜びと、わざわざ名古屋まで来て食べたのに東京でも食べれたのかという虚しさ。
喜ばしき未来、虚しき過去
この「ご当地グルメ全国拡大化現象」に対しての複雑な感情は上記の言葉で表せるように感じた。
これからのことを考えれば、移動の手間が省けてより美味しいグルメを味わえる。知ることが出来て嬉しい。
ただ、旅行の思い出という過去の観点においては東京でも食べられるというのは特別感を大きく削る原因になる。
萩の月、東京進出方法の上手さ
ただ、このご当地グルメ全国拡大化の残念感を上手いこと回避している企業もある。
その一例として仙台のお土産最強格である「萩の月」が挙げられるだろう。
この萩の月は東京駅の駅ナカでも購入が可能である。これだけ聞くと上記の矢場とんと変わらない。
ただ矢場とんと違うのは、東京限定の「萩の月」しか購入ができないという点だ。
東京でのアイデンティティ確立
私たちが渡したり貰ったりするあの萩の月とはテイストが異なる。なので、本家萩の月を食べたければ仙台に赴くしかない。
こうすれば東京でも萩の月という名前を売りつつ、じゃあ本家も食べてみたいと思ってもらえるじゃないか。すごい。
思い出マシマシ「ご当人」モノ
今では、インターネットで各地のお土産やご当地グルメのチルド商品などを注文出来る。
これは技術の進歩がもたらした喜ばしきことである。
ではこの時代にお土産はどういう意味を持つのか。「思い出の共有」であろう。
土産品に土産話を添えてあげれば、それはその人限定の「ご当人」モノになるだろう。